2011年02月26日
本来の自分と出会う
2月24・25日、トータルヘルスデザイン東京営業所でバンクシア・フィットネス《アドバンスコース》を開催させていただきました。
参加された皆さんと一緒にホテルで一泊した次の日の朝、Sさんから「こんな私ですが、自分のままでいいのでしょうか?」という質問をいただきました。
バンクシア・フィットネスは“本来の自分と出会う”ことを究極の目的としていますので、「もちろんですよ」とお答えしたいところなのですが、なんだか誤解を生みそうな気もしたので、いろんな話をさせていただきました。
日本人は西洋の人に較べて「自我」の形成が十分に行われないまま、歳をとっていくということがよく指摘されますが、その理由は日頃話す日本語の中にあるようです。
(その一)主語と目的語なしで十分会話が成り立ちます。
万葉集から山上憶良の歌をご紹介します。
瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば まして偲ばゆ
何処より 来りしものぞ 眼交(まながい)に
もとな懸りて 安寝し寝(な)さぬ
主語も目的語もなく、すごい一体感がみなぎっているのではないでしょうか?
古来より、日本語は「ひとつになる」ことを目指す言語のように見えます。
(その二)主語なしで文章を書くことができます。
「THD LIFE」などの情報誌に文章を書くことがあるのですが、
主語を書かないことを原則としています。自己主張を避けたいからです。
それで通じるのですから不思議といえば不思議ですね。
(その三)「私」という字には、「自分だけの利益を考える」というあまり感心しない
意味の他に「かくしどころ」、さらには「小便をする」など、すこし人目を
避けたいような表現があります。日本人は「我」が表に出るのをこころよく
思っていないのですね。
「私が、私が」と何かと私を主張する人は敬遠されがちと言ってよいのでは
ないでしょうか?
(その四)「雲が見える」という表現がありますが、極めて日本的ですね。見ることと
見られることが一体となって結びついているのです。
「自我」が表に出ないような配慮が日本語の中にあるのです。本来の自分というのは自他を超えたところにあるのですから、「自分らしく生きる」ことができればこれほど素晴らしいことはありません。
しかし「自分らしく」という意味が「自我を通す」という意味なら、すこし違ってきますね。
もちろんSさんの「自分のまま」という表現には、「自我を通す」という意味はまったく含まれていないように感じました。人はありのままで生きるのが一番なのですね。
「本来の自分と出会う」ことが当たり前になる時代を創造したいものですね。
月刊情報誌「THD LIFE」(ティ・エイチ・ディ ライフ)は、毎月無料でお届けしています。
お申込みはこちらからどうぞ♪
https://www.thd-web.jp/present/13.html
心と体と宇宙を結ぶ「バンクシア・フィットネス」は、東京・京都で好評開催中です!
詳しくはこちらをご覧ください♪
http://www.banksia.co.jp/bf/
参加された皆さんと一緒にホテルで一泊した次の日の朝、Sさんから「こんな私ですが、自分のままでいいのでしょうか?」という質問をいただきました。
バンクシア・フィットネスは“本来の自分と出会う”ことを究極の目的としていますので、「もちろんですよ」とお答えしたいところなのですが、なんだか誤解を生みそうな気もしたので、いろんな話をさせていただきました。
日本人は西洋の人に較べて「自我」の形成が十分に行われないまま、歳をとっていくということがよく指摘されますが、その理由は日頃話す日本語の中にあるようです。
(その一)主語と目的語なしで十分会話が成り立ちます。
万葉集から山上憶良の歌をご紹介します。
瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば まして偲ばゆ
何処より 来りしものぞ 眼交(まながい)に
もとな懸りて 安寝し寝(な)さぬ
主語も目的語もなく、すごい一体感がみなぎっているのではないでしょうか?
古来より、日本語は「ひとつになる」ことを目指す言語のように見えます。
(その二)主語なしで文章を書くことができます。
「THD LIFE」などの情報誌に文章を書くことがあるのですが、
主語を書かないことを原則としています。自己主張を避けたいからです。
それで通じるのですから不思議といえば不思議ですね。
(その三)「私」という字には、「自分だけの利益を考える」というあまり感心しない
意味の他に「かくしどころ」、さらには「小便をする」など、すこし人目を
避けたいような表現があります。日本人は「我」が表に出るのをこころよく
思っていないのですね。
「私が、私が」と何かと私を主張する人は敬遠されがちと言ってよいのでは
ないでしょうか?
(その四)「雲が見える」という表現がありますが、極めて日本的ですね。見ることと
見られることが一体となって結びついているのです。
「自我」が表に出ないような配慮が日本語の中にあるのです。本来の自分というのは自他を超えたところにあるのですから、「自分らしく生きる」ことができればこれほど素晴らしいことはありません。
しかし「自分らしく」という意味が「自我を通す」という意味なら、すこし違ってきますね。
もちろんSさんの「自分のまま」という表現には、「自我を通す」という意味はまったく含まれていないように感じました。人はありのままで生きるのが一番なのですね。
「本来の自分と出会う」ことが当たり前になる時代を創造したいものですね。
月刊情報誌「THD LIFE」(ティ・エイチ・ディ ライフ)は、毎月無料でお届けしています。お申込みはこちらからどうぞ♪
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2011年02月03日
新春のごあいさつ
新春のお喜びを申し上げます。
今日は太陰太陽暦すなわち旧暦の正月1日、この日から春が始まります。
お正月の年賀状で「新春のお喜びを・・・・」というあいさつ文が使われますが、この寒いのにどうして春なのだろうと、いぶかしく思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
江戸時代は今日が元旦だったのです。
日本は四季の変化に富んでいて、明治6年に太陽暦に改暦されるまでは、旧暦が使われていました。旧暦は四季の変化を表す自然暦なのです。
ちなみに今でもお隣中国では旧暦が使われていて、今年は2月3日が春節、この日から一年が始まります。
それにしても、昨日までの厳しい冷え込みから一転して、まさに春到来といったぽかぽか天気ですね。いつものことながら、旧暦はほんとうに季節感をよく表してくれると感心しています。
日本の文学作品や歴史上の日付はすべて旧暦ですので、日常生活にすこし不具合が生じることがあります。
たとえば桃の節句、ひな祭りは3月3日。まだ桃の花は咲いていません。
今年のひな祭りは新暦では4月5日です。7月7日の七夕様は梅雨の真っ最中なのでお星様が見えないことが多いですね。
今年の新暦では七夕は8月6日、牽牛星と織女星はくっきり見えるのではないでしょうか?
よければ旧暦をお使いになりませんか?生活に季節感を取り戻すことができるので皆様から好評をいただいています。

旧暦カレンダー
http://www.thd-web.jp/item/1676.html
今日は太陰太陽暦すなわち旧暦の正月1日、この日から春が始まります。
お正月の年賀状で「新春のお喜びを・・・・」というあいさつ文が使われますが、この寒いのにどうして春なのだろうと、いぶかしく思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
江戸時代は今日が元旦だったのです。
日本は四季の変化に富んでいて、明治6年に太陽暦に改暦されるまでは、旧暦が使われていました。旧暦は四季の変化を表す自然暦なのです。
ちなみに今でもお隣中国では旧暦が使われていて、今年は2月3日が春節、この日から一年が始まります。
それにしても、昨日までの厳しい冷え込みから一転して、まさに春到来といったぽかぽか天気ですね。いつものことながら、旧暦はほんとうに季節感をよく表してくれると感心しています。
日本の文学作品や歴史上の日付はすべて旧暦ですので、日常生活にすこし不具合が生じることがあります。
たとえば桃の節句、ひな祭りは3月3日。まだ桃の花は咲いていません。
今年のひな祭りは新暦では4月5日です。7月7日の七夕様は梅雨の真っ最中なのでお星様が見えないことが多いですね。
今年の新暦では七夕は8月6日、牽牛星と織女星はくっきり見えるのではないでしょうか?
よければ旧暦をお使いになりませんか?生活に季節感を取り戻すことができるので皆様から好評をいただいています。

旧暦カレンダーhttp://www.thd-web.jp/item/1676.html
Posted by (株)トータルヘルスデザイン会長 近藤洋一 at
10:07
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2011年02月02日
世界は音からできている
かつて、この大宇宙と人間は同格であると考えられていた時代があったように思います。
人々は、この大宇宙をマクロコスモス、人間をミクロコスモスと呼んでいました。
現代科学の洗礼を受けた私たちには、銀河系、太陽系などで構成されるこの大宇宙と人間とを同格に扱うなどということはありえないのではないでしょうか?
たしかに物質として眺めるなら、この両者はあまりにも違いすぎて、比較するというような発想は湧いてこないと思います。
しかし、宇宙に存在するすべてのものは同じ宇宙法則にもとづいて存在しています。
素粒子物理学の進展によってミクロのことが明らかになり、あらゆる物質は粒子としての特性と並んで、波動としての特性を示すことが明らかになりました。
すなわち、すべての存在物は固有の周波数をもって振動しています。
人間の各器官、各細胞も固有の周波数をもって振動していて、病気になると胃や心臓、肝臓といった器官の発振する周波数が本来の周波数とずれてきます。
そこで、その器官が本来発振すべき周波数の響きを外部から強制的に発振させると、その細胞は励起され、共鳴が起こり、体は元の健康体に戻ります。これがいわゆる自己治癒力と呼ばれるものです。
スイスの科学者ハンス・ジェニー博士は、トノスコープという装置を開発し、音が物に与える影響について詳細な研究を行いました。
そして、音が物の形を作ることを明らかにし、これをサイマティクスと名づけました。博士の研究はイギリスの科学者マナー博士に引き継がれ、30数年かけて人体の各部位が持つ固有の振動数を計測しました。
この研究が実ってサイマティクス・セラピーの原点となり、今日にいたっています。
板の上に細かい粉をおいて音を響かせると、その微粒子は、その響きに忠実に呼応して一定の形を作ります。以下映像をご覧になってください。
この原理を体の治療に応用したのが、サイマティクス・セラピーです。
なおこのDVDは、日本でサイマティクス・セラピーを推進しておられる、株式会社サイマティック・リサーチさまからご提供いただいたものです。
人々は、この大宇宙をマクロコスモス、人間をミクロコスモスと呼んでいました。
現代科学の洗礼を受けた私たちには、銀河系、太陽系などで構成されるこの大宇宙と人間とを同格に扱うなどということはありえないのではないでしょうか?
たしかに物質として眺めるなら、この両者はあまりにも違いすぎて、比較するというような発想は湧いてこないと思います。
しかし、宇宙に存在するすべてのものは同じ宇宙法則にもとづいて存在しています。
素粒子物理学の進展によってミクロのことが明らかになり、あらゆる物質は粒子としての特性と並んで、波動としての特性を示すことが明らかになりました。
すなわち、すべての存在物は固有の周波数をもって振動しています。
人間の各器官、各細胞も固有の周波数をもって振動していて、病気になると胃や心臓、肝臓といった器官の発振する周波数が本来の周波数とずれてきます。
そこで、その器官が本来発振すべき周波数の響きを外部から強制的に発振させると、その細胞は励起され、共鳴が起こり、体は元の健康体に戻ります。これがいわゆる自己治癒力と呼ばれるものです。
スイスの科学者ハンス・ジェニー博士は、トノスコープという装置を開発し、音が物に与える影響について詳細な研究を行いました。
そして、音が物の形を作ることを明らかにし、これをサイマティクスと名づけました。博士の研究はイギリスの科学者マナー博士に引き継がれ、30数年かけて人体の各部位が持つ固有の振動数を計測しました。
この研究が実ってサイマティクス・セラピーの原点となり、今日にいたっています。
板の上に細かい粉をおいて音を響かせると、その微粒子は、その響きに忠実に呼応して一定の形を作ります。以下映像をご覧になってください。
この原理を体の治療に応用したのが、サイマティクス・セラピーです。
なおこのDVDは、日本でサイマティクス・セラピーを推進しておられる、株式会社サイマティック・リサーチさまからご提供いただいたものです。
Posted by (株)トータルヘルスデザイン会長 近藤洋一 at
17:24
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2011年01月11日
征服されざる人々
元日の朝、鳥取県・琴浦町を走る国道9号線で、大雪のため、1000台の車が約25キロにわたって、長時間立ち往生するというアクシデントがありました。
近所の人たちは「目の前に困っている人がいたら、お互い様じゃけね」「自分だけぬくぬくとはできん」「ありったけの米を炊いて、食べてもらおう」などなど・・・・
夜になって今日がお正月だということを思い出すくらい、皆総出で、救助のために尽力されたと報道されています。
日本にはまだこんな人たちがいらっしゃるのだ、ということを知って感動するとともに深い心の安らぎを覚えました。
滅びたはずの日本文明がまだ残っていたのかという素朴な驚きでもありました。
明治10年、来日したアメリカの動物学者エドワード・S・モースは、宿に泊まったとき『亭主に、私が帰るまで、時計と金とをあずかってくれぬかと聞いたら、彼は快く承知した。・・・・・・そしてお盆の上に置いておいても大丈夫だと言った。いまだかつて、日本中のいかなる襖にも、錠も鍵もかんぬきも見たことがない事実からして、この国民がいかに正直であるかを理解した私は、この実験をあえてしようと決心し、恐らく私の留守中に何回も客が入るであろうし、また家中の召使いでも投宿客でもが、楽々と入り得るこの部屋に、蓋のない盆に銀貨と紙幣とで80ドルと金時計とを入れたものを残して去った。
我々は一週間にわたる旅をしたのであるが、帰って見ると、時計はいうに及ばず、小銭の1セントに至るまで、私がそれらを残して行った時とまったく同様に、蓋のない盆の上にのっていた。』と書き記しています。(日本その日その日3 平凡社)
そういえば昭和30年代頃までは、日本の旅館や民宿の部屋には鍵がなかったものです。
襖一枚隔てた部屋に女性が寝ていても、何の問題もなかったのですから隔世の感がありますね。
またイギリスの詩人エドウイン・アーノルドが明治22年来日したとき、日本を「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ」と賞賛しているそうです。(渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社ライブラリー)
「日本が近代化する過程で、江戸文明とか徳川文明とか俗称される、ひとつの文明が滅んだ。日本の近代が前代の文明の滅亡の上に打ち立てられてのだということを鋭く自覚していたのは、同時代の異邦人たちである」と渡辺京二氏は述べておられます。
当時の日本には、世界の有意の人がうらやむほどの精神的な宝物があるのに、日本人はその宝物が、劣等民族の印であるかのように錯覚して近代化の名のもとに捨て去ってしまったのです。
イギリスの言語学者・チェンバレンが「過去にしっかりと根を張っている国民のみが、将来において花を咲かせ、果実を結ぶことを期待できるのである」と指摘しているように、日本人は自分たちのアイデンティティを再構築しなければならないときを迎えていると思うのです。
日本人の経糸としての文明はまだ健在であるということを琴浦町の人々は示してくれたのかもしれません。近代文明に征服されざる人々といってよいと思うのです。
(参考文献:波田野 毅「世界の偉人たちの驚き日本発見記」明成社 宮本 常一「忘れられた日本人」岩波文庫 をご参照ください)
近所の人たちは「目の前に困っている人がいたら、お互い様じゃけね」「自分だけぬくぬくとはできん」「ありったけの米を炊いて、食べてもらおう」などなど・・・・
夜になって今日がお正月だということを思い出すくらい、皆総出で、救助のために尽力されたと報道されています。
日本にはまだこんな人たちがいらっしゃるのだ、ということを知って感動するとともに深い心の安らぎを覚えました。
滅びたはずの日本文明がまだ残っていたのかという素朴な驚きでもありました。
明治10年、来日したアメリカの動物学者エドワード・S・モースは、宿に泊まったとき『亭主に、私が帰るまで、時計と金とをあずかってくれぬかと聞いたら、彼は快く承知した。・・・・・・そしてお盆の上に置いておいても大丈夫だと言った。いまだかつて、日本中のいかなる襖にも、錠も鍵もかんぬきも見たことがない事実からして、この国民がいかに正直であるかを理解した私は、この実験をあえてしようと決心し、恐らく私の留守中に何回も客が入るであろうし、また家中の召使いでも投宿客でもが、楽々と入り得るこの部屋に、蓋のない盆に銀貨と紙幣とで80ドルと金時計とを入れたものを残して去った。
我々は一週間にわたる旅をしたのであるが、帰って見ると、時計はいうに及ばず、小銭の1セントに至るまで、私がそれらを残して行った時とまったく同様に、蓋のない盆の上にのっていた。』と書き記しています。(日本その日その日3 平凡社)
そういえば昭和30年代頃までは、日本の旅館や民宿の部屋には鍵がなかったものです。
襖一枚隔てた部屋に女性が寝ていても、何の問題もなかったのですから隔世の感がありますね。
またイギリスの詩人エドウイン・アーノルドが明治22年来日したとき、日本を「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ」と賞賛しているそうです。(渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社ライブラリー)
「日本が近代化する過程で、江戸文明とか徳川文明とか俗称される、ひとつの文明が滅んだ。日本の近代が前代の文明の滅亡の上に打ち立てられてのだということを鋭く自覚していたのは、同時代の異邦人たちである」と渡辺京二氏は述べておられます。
当時の日本には、世界の有意の人がうらやむほどの精神的な宝物があるのに、日本人はその宝物が、劣等民族の印であるかのように錯覚して近代化の名のもとに捨て去ってしまったのです。
イギリスの言語学者・チェンバレンが「過去にしっかりと根を張っている国民のみが、将来において花を咲かせ、果実を結ぶことを期待できるのである」と指摘しているように、日本人は自分たちのアイデンティティを再構築しなければならないときを迎えていると思うのです。
日本人の経糸としての文明はまだ健在であるということを琴浦町の人々は示してくれたのかもしれません。近代文明に征服されざる人々といってよいと思うのです。
(参考文献:波田野 毅「世界の偉人たちの驚き日本発見記」明成社 宮本 常一「忘れられた日本人」岩波文庫 をご参照ください)
Posted by (株)トータルヘルスデザイン会長 近藤洋一 at
15:53
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2011年01月08日
かっこちゃんに介護法を学ぼう!
石川県の特別支援学校(旧・養護学校)に勤務する
“かっこちゃん”こと山元加津子さんは、
学校の子供たちを生徒とは呼ばず、お友達と呼んでおられます。
生徒一人一人をかけがえのない友達として同じ目線に立って、
ともに楽しむ授業をするなかで、
子供たちは
「生きるって素敵なことだよ」とか
「大好きってことがとっても大事なんだよ」
ということを伝え続けてくれるのだそうです。
教え子の雪絵ちゃんとの約束
「病気や障がいがとても大切で、
それが科学的に証明されていること。
すべての人が素晴らしい役割をもち、宇宙から必要とされていること。
そんなことを世界中の人が当たり前に知っている世の中に
かっこちゃんがしてほしい」
を胸に、本を書き、講演など幅広い活動を続けておられます。
“かっこちゃん”に接した人々の「眼からウロコ」の気づきと感動の輪が全国に広がっています。
バンクシア・フィットネスでは、そんなかっこちゃんに
楽にできる介護法を教えていただこうというイベントを企画しています。
かっこちゃんにお聞きすると、介護をしていると無理な姿勢をとりがちで
腰などを痛めることがよくあるそうです。
そんなとき、体の使い方を知っておくだけで、無駄な力を使わず、
意識だけで簡単に体重の重い人を持ち上げたり、
移動させたりということが可能になります。
この秘訣を、バンクシア・フィットネスのマスターコースを修了された方々向けに
企画いたしました。
詳細はおってご連絡させていただきますが、
現時点で決定している事項のみお知らせいたします。
日程:2011年4月1日(金)~2日(土) ※一泊二日
場所:石川県金沢市内
当日は、温泉にゆったり浸かり、参加者の皆さまとの楽しい懇親会もご用意しています。
バンクシア・フィットネス マスターコースを受講された方々には、
目から鱗が落ちるような内容が満載のこのイベントに、
ぜひご参加いただきたいと思っております。
かっこちゃんに楽にできる介護法の一部を教えていただきました。
ご参考になさってください。
“かっこちゃん”こと山元加津子さんは、
学校の子供たちを生徒とは呼ばず、お友達と呼んでおられます。
生徒一人一人をかけがえのない友達として同じ目線に立って、
ともに楽しむ授業をするなかで、
子供たちは
「生きるって素敵なことだよ」とか
「大好きってことがとっても大事なんだよ」
ということを伝え続けてくれるのだそうです。
教え子の雪絵ちゃんとの約束
「病気や障がいがとても大切で、
それが科学的に証明されていること。
すべての人が素晴らしい役割をもち、宇宙から必要とされていること。
そんなことを世界中の人が当たり前に知っている世の中に
かっこちゃんがしてほしい」
を胸に、本を書き、講演など幅広い活動を続けておられます。
“かっこちゃん”に接した人々の「眼からウロコ」の気づきと感動の輪が全国に広がっています。
バンクシア・フィットネスでは、そんなかっこちゃんに
楽にできる介護法を教えていただこうというイベントを企画しています。
かっこちゃんにお聞きすると、介護をしていると無理な姿勢をとりがちで
腰などを痛めることがよくあるそうです。
そんなとき、体の使い方を知っておくだけで、無駄な力を使わず、
意識だけで簡単に体重の重い人を持ち上げたり、
移動させたりということが可能になります。
この秘訣を、バンクシア・フィットネスのマスターコースを修了された方々向けに
企画いたしました。
詳細はおってご連絡させていただきますが、
現時点で決定している事項のみお知らせいたします。
日程:2011年4月1日(金)~2日(土) ※一泊二日
場所:石川県金沢市内
当日は、温泉にゆったり浸かり、参加者の皆さまとの楽しい懇親会もご用意しています。
バンクシア・フィットネス マスターコースを受講された方々には、
目から鱗が落ちるような内容が満載のこのイベントに、
ぜひご参加いただきたいと思っております。
かっこちゃんに楽にできる介護法の一部を教えていただきました。
ご参考になさってください。
Posted by (株)トータルヘルスデザイン会長 近藤洋一 at
16:11
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2010年05月12日
底力(4)
「植物の魂」は人の中でどのように現れているのでしょうか?
海岸に行くと大きな岩の上に松がガッキと立っている風景に出合います。
そんな松の姿を見るたびに、いつも松は何を食べて生きているのだろう、という幼稚な思いにとらわれます。
岩だけで生きていけるのだから松というのはすごい奴なのですが、考えてみれば、土地で育っている植物も同類ですね。
野菜には肥料を与えたりするので、何か肥やしを食べて育つのだと錯覚しがちなのだと思います。
野菜にしても松にしても、植物は人間や動物と違って、わざわざ、えさを求めて右往左往する必要はありません。
黙って立っているだけで、必要な食糧は自動的に与えられるのですから、うらやましいかぎりです。
旧約聖書によりますと、人間の場合、肉体は土でできているのですが、この土の中には、植物が分解して生成した成分が含まれています。すなわち、人間の中には、植物由来の器官があるのです。
すなわち胃や腸、腎臓や肝臓、そして心臓、肺臓などの植物性器官があって、食べたものは自動的に処理されるようになっています。
寝ている間でも休まず働いてくれているのですから、考えてみれば驚きですね。
全部自動的にやってくれるのは、自律神経のお蔭です。
放っておいても生きていけるようになっているのに、何故か具合悪くなったりします。
自律神経が、うまく働いてくれないからです。自律神経失調症という現代病があって困ったものですね。
海岸に行くと大きな岩の上に松がガッキと立っている風景に出合います。
そんな松の姿を見るたびに、いつも松は何を食べて生きているのだろう、という幼稚な思いにとらわれます。
岩だけで生きていけるのだから松というのはすごい奴なのですが、考えてみれば、土地で育っている植物も同類ですね。
野菜には肥料を与えたりするので、何か肥やしを食べて育つのだと錯覚しがちなのだと思います。
野菜にしても松にしても、植物は人間や動物と違って、わざわざ、えさを求めて右往左往する必要はありません。
黙って立っているだけで、必要な食糧は自動的に与えられるのですから、うらやましいかぎりです。
旧約聖書によりますと、人間の場合、肉体は土でできているのですが、この土の中には、植物が分解して生成した成分が含まれています。すなわち、人間の中には、植物由来の器官があるのです。
すなわち胃や腸、腎臓や肝臓、そして心臓、肺臓などの植物性器官があって、食べたものは自動的に処理されるようになっています。
寝ている間でも休まず働いてくれているのですから、考えてみれば驚きですね。
全部自動的にやってくれるのは、自律神経のお蔭です。
放っておいても生きていけるようになっているのに、何故か具合悪くなったりします。
自律神経が、うまく働いてくれないからです。自律神経失調症という現代病があって困ったものですね。
2010年05月06日
底力(3)
立花大敬さんは
「人間の魂は顕在的には四層から成り成っている。進化の過程でたどってきた道筋が魂の階層構造になっているのです。下から〈鉱物の魂〉〈植物の魂〉〈動物の魂〉そして〈人間の魂〉だ」
と言っておられます。
ところで旧約聖書に
「始めに神は天と地とを創造された」「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きたものとなった」「主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた」
という表現があります。
旧約聖書の表現は象徴的に人の肉体を現しています。肉体は鉱物からできていて、イノチは存在しないのです。神がイノチの息を吹き入れられて始めて生命が誕生したというのは、人間は宇宙を呼吸しているということを示唆しているのだと思われます。
呼吸というのは神との交流なのかもしれません。
わたしたちの肉体には、鉱物起源のミネラルがあり、様々な臓器が存在します。ミネラルがなければ電気が通らず、生きていけません。神様が人を土から造られた証拠ではないでしょうか?
心臓や肝臓など各臓器と波動共鳴する鉱石をあてることによって、肉体を癒すストーンヒーリングの意味も明らかになってきますね。
鉱物の魂が基礎となって人間の生命活動が営まれ、生成進化していくのですというのです。
「人間の魂は顕在的には四層から成り成っている。進化の過程でたどってきた道筋が魂の階層構造になっているのです。下から〈鉱物の魂〉〈植物の魂〉〈動物の魂〉そして〈人間の魂〉だ」
と言っておられます。
ところで旧約聖書に
「始めに神は天と地とを創造された」「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きたものとなった」「主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた」
という表現があります。
旧約聖書の表現は象徴的に人の肉体を現しています。肉体は鉱物からできていて、イノチは存在しないのです。神がイノチの息を吹き入れられて始めて生命が誕生したというのは、人間は宇宙を呼吸しているということを示唆しているのだと思われます。
呼吸というのは神との交流なのかもしれません。
わたしたちの肉体には、鉱物起源のミネラルがあり、様々な臓器が存在します。ミネラルがなければ電気が通らず、生きていけません。神様が人を土から造られた証拠ではないでしょうか?
心臓や肝臓など各臓器と波動共鳴する鉱石をあてることによって、肉体を癒すストーンヒーリングの意味も明らかになってきますね。
鉱物の魂が基礎となって人間の生命活動が営まれ、生成進化していくのですというのです。
2010年05月04日
底力(2)
海岸にある大きな岩の上にガッキ!と逞しく生えている松の木を見ると、一体どうなっているのかとびっくりするのではないでしょうか?
肥料なんか全くとることもなく、ただ立っているだけで、たくましく育つのですから。
一体どうなっているのでしょうね。
彼らに較べると、動物も人間も食べ物を求めて右往左往し、見つからないとなると、泥棒をするか飢え死にするか、哀れなものですね。
しかし捨てたものではありません。
人間は鉱物、植物、動物と長年月をかけて進化して今日にいたっています。
人間のイノチをつくり上げているのは、他でもない、この植物です。
だから人間の中には植物のイノチが宿っていて、それを忘れているだけなのです。
現実に人間の中には、植物由来の植物性器官が存在し、生きていくための基本的な働きをしています。
人は食べ物を口にすると、黙っていても胃から腸を経て体外に排泄されます。
腎臓や肝臓もしっかり働いて、毒があれば処理して、血液中に毒が拡散するのを防いでくれています。
心臓も休むことなく動いていて、血液をカラダ中に送り出してくれています。
肺は肺で空気を吸い込み、食べたものをエネルギーにするという大切な働きをしてくれています。
これら器官は眠っていても、しっかりその役割を果たしてくれているのですから、考えてみれば人間の中には植物が生きていて、大切な機能を果たしてくれていることになります。
眠っていても生きているなんて、考えて見ればすごいことではないでしょうか?
これら器官がとどこおりなく働くことができるように、自律神経という植物性の神経が縁の下の力持ちとして全体の調節をしてくれています。
いま、世の中に病気が氾濫しているのは、この植物性器官が円滑に働いてくれていないからなのです。
バンクシア・フィットネスは植物の『底力』を解明することによって本来の自分に気づき、イキイキとした暮らしを創造するための明るく楽しいトレーニングです。
★バンクシア・フィットネス総合パンフレットのご請求、またお問い合わせは、お気軽に下記までお電話ください。
TEL / フリーダイヤル 0120-94-8107 または0774-72-5889 (担当:青木・北尾)
★ホームページも随時更新しています!
http://www.banksia.co.jp/bf/bf.html
肥料なんか全くとることもなく、ただ立っているだけで、たくましく育つのですから。
一体どうなっているのでしょうね。
彼らに較べると、動物も人間も食べ物を求めて右往左往し、見つからないとなると、泥棒をするか飢え死にするか、哀れなものですね。
しかし捨てたものではありません。
人間は鉱物、植物、動物と長年月をかけて進化して今日にいたっています。
人間のイノチをつくり上げているのは、他でもない、この植物です。
だから人間の中には植物のイノチが宿っていて、それを忘れているだけなのです。
現実に人間の中には、植物由来の植物性器官が存在し、生きていくための基本的な働きをしています。
人は食べ物を口にすると、黙っていても胃から腸を経て体外に排泄されます。
腎臓や肝臓もしっかり働いて、毒があれば処理して、血液中に毒が拡散するのを防いでくれています。
心臓も休むことなく動いていて、血液をカラダ中に送り出してくれています。
肺は肺で空気を吸い込み、食べたものをエネルギーにするという大切な働きをしてくれています。
これら器官は眠っていても、しっかりその役割を果たしてくれているのですから、考えてみれば人間の中には植物が生きていて、大切な機能を果たしてくれていることになります。
眠っていても生きているなんて、考えて見ればすごいことではないでしょうか?
これら器官がとどこおりなく働くことができるように、自律神経という植物性の神経が縁の下の力持ちとして全体の調節をしてくれています。
いま、世の中に病気が氾濫しているのは、この植物性器官が円滑に働いてくれていないからなのです。
バンクシア・フィットネスは植物の『底力』を解明することによって本来の自分に気づき、イキイキとした暮らしを創造するための明るく楽しいトレーニングです。
★バンクシア・フィットネス総合パンフレットのご請求、またお問い合わせは、お気軽に下記までお電話ください。
TEL / フリーダイヤル 0120-94-8107 または0774-72-5889 (担当:青木・北尾)
★ホームページも随時更新しています!
http://www.banksia.co.jp/bf/bf.html
2010年05月01日
底力
人は魂レベルで観てみると、鉱物、植物、動物、人間の4層構造からできています。
地球上で鉱物の時代、植物の時代、動物の時代を経て人間にまで進化したのですから、当然といえば当然なのですね。
鉱物の魂が人間の肉体をつくりあげています。
肉体にはミネラルが存在しますので、電気が流れ、すべての臓器が健全に働きます。
鉱石を使ったストーン・ヒーリングが効果のあるのも、臓器と鉱石の間で、特定の周波数の波がお互いに共鳴しあっているからなのだと思われます。
さて植物です。
植物は放っておいたらどこまでも無限に広がって行きますね。
衰えることのないエネルギーが汲めども尽きない泉のように湧き出してくるのです。
植物は動き回ることもなくただじっとしているだけで、ミネラルと太陽そして空気を少しいただくだけで、元気が湧き出す『底力』をもっているのです。
トータルヘルスデザインでは、人の肉体の中に存在する植物性器官を活性化する簡単な体操をするだけで、『底力』が湧いてきて、『気の達人』として『気』を自由に扱うことができるバンクシア・フィットネスを開講しています。
このブログを通してその真髄をお伝えしていきますが、早く知りたい方にはご連絡いただきますと、資料をお送りいたします。
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♪バンクシア・フィットンネス講座の一コマです
地球上で鉱物の時代、植物の時代、動物の時代を経て人間にまで進化したのですから、当然といえば当然なのですね。
鉱物の魂が人間の肉体をつくりあげています。
肉体にはミネラルが存在しますので、電気が流れ、すべての臓器が健全に働きます。
鉱石を使ったストーン・ヒーリングが効果のあるのも、臓器と鉱石の間で、特定の周波数の波がお互いに共鳴しあっているからなのだと思われます。
さて植物です。
植物は放っておいたらどこまでも無限に広がって行きますね。
衰えることのないエネルギーが汲めども尽きない泉のように湧き出してくるのです。
植物は動き回ることもなくただじっとしているだけで、ミネラルと太陽そして空気を少しいただくだけで、元気が湧き出す『底力』をもっているのです。
トータルヘルスデザインでは、人の肉体の中に存在する植物性器官を活性化する簡単な体操をするだけで、『底力』が湧いてきて、『気の達人』として『気』を自由に扱うことができるバンクシア・フィットネスを開講しています。
このブログを通してその真髄をお伝えしていきますが、早く知りたい方にはご連絡いただきますと、資料をお送りいたします。
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♪バンクシア・フィットンネス講座の一コマです
2009年10月03日
バンクシア・フィットネス
“心と体と宇宙を結ぶ”バンクシア・フィットネス”がお蔭さまで大好評なので
少しご紹介させていただきます。
バンクシア・フィットネスの目的は、
自分の本質すなわち魂とフィットする自分を創造しようという点にあります。
人は体と心を与えられて、この世に生を受けています。
だから幸せに生きるためには、天から与えられた体と心を
うまく使えばよいということになります。
別の言い方をするとそれしかないということになります。
そのためには体と心を一体化する必要があります。
体と心がばらばらでは、何をするにもうまくいきませんね。
バンクシア・フィットネスはまず体を通して、宇宙と一体になることを目指します。
私たちは、交感神経と副交感神経、随意筋と不随意筋、
動物器官と植物器官というように相対する器官のバランスをとることによって
うまく生きていけるように作られています。
一般に運動をすると、交感神経、随意筋、動物器官だけを使う傾向が強く、
疲れが残りがちです。
バンクシア・フィットネスは、これら両方の器官に効果のある体操を
組み合わせてプログラムされています。
(つづく)

『バンクシア・フィットネス』>>THDセミナー案内へ
少しご紹介させていただきます。
バンクシア・フィットネスの目的は、
自分の本質すなわち魂とフィットする自分を創造しようという点にあります。
人は体と心を与えられて、この世に生を受けています。
だから幸せに生きるためには、天から与えられた体と心を
うまく使えばよいということになります。
別の言い方をするとそれしかないということになります。
そのためには体と心を一体化する必要があります。
体と心がばらばらでは、何をするにもうまくいきませんね。
バンクシア・フィットネスはまず体を通して、宇宙と一体になることを目指します。
私たちは、交感神経と副交感神経、随意筋と不随意筋、
動物器官と植物器官というように相対する器官のバランスをとることによって
うまく生きていけるように作られています。
一般に運動をすると、交感神経、随意筋、動物器官だけを使う傾向が強く、
疲れが残りがちです。
バンクシア・フィットネスは、これら両方の器官に効果のある体操を
組み合わせてプログラムされています。
(つづく)

『バンクシア・フィットネス』>>THDセミナー案内へ
2009年10月02日
般若心経
さきほど、イラスト名人・野上さんの机の上に
『笑い飯哲夫訳『般若心経』という本がおいてあったので、
なんだろうと思って手に取ると、そこにいた若い人が「この本は人気がある」と言って、
笑っていたので、興味半分で、覗いてみました。
さっと見ただけなので、感想を言う立場にはないのですが、感じるところはありました。
偽善家という言葉がありますが、立派なことを言うときは
偽善になりやすいので注意が必要だと思います。
そういう意味では、世の中には偽善で書かれた本がいっぱいあるのかもしれません。
そんな本は嫌気がさすものですね。
この本は偽悪家を気取って書かれたもののようです。
偽善と偽悪は紙の裏と表だと思います。
となると、最近の若い人は、偽善に飽き飽きしていて、
偽悪に拍手喝さいをおくるのかも知れないなーと思ったしだいです。
作者は、根が真面目な求道家なのではないでしょうか?
それにしても、般若心経とは!
いまどきの若い人は道を求める傾向が強いのですね。
若い人だからこそ、物事の真髄を追求するのだと思います。
そういえば宮沢賢治も若かったのですね。
きっと世の中が退廃していることを写してくれているのだと思います。
この本に対する感想というより、この本を好んで読む若い人への感想になってしまいました。
ところで、般若心経の解釈では
立花大敬さんの「般若心経願望実現」が一頭地を抜いているように思っています。
もちろん人それぞれですが、このCDは一聴の価値があるように思います。
THD WEBショップ本店>>『立花大敬 般若心経願望実現』
『笑い飯哲夫訳『般若心経』という本がおいてあったので、
なんだろうと思って手に取ると、そこにいた若い人が「この本は人気がある」と言って、
笑っていたので、興味半分で、覗いてみました。
さっと見ただけなので、感想を言う立場にはないのですが、感じるところはありました。
偽善家という言葉がありますが、立派なことを言うときは
偽善になりやすいので注意が必要だと思います。
そういう意味では、世の中には偽善で書かれた本がいっぱいあるのかもしれません。
そんな本は嫌気がさすものですね。
この本は偽悪家を気取って書かれたもののようです。
偽善と偽悪は紙の裏と表だと思います。
となると、最近の若い人は、偽善に飽き飽きしていて、
偽悪に拍手喝さいをおくるのかも知れないなーと思ったしだいです。
作者は、根が真面目な求道家なのではないでしょうか?
それにしても、般若心経とは!
いまどきの若い人は道を求める傾向が強いのですね。
若い人だからこそ、物事の真髄を追求するのだと思います。
そういえば宮沢賢治も若かったのですね。
きっと世の中が退廃していることを写してくれているのだと思います。
この本に対する感想というより、この本を好んで読む若い人への感想になってしまいました。
ところで、般若心経の解釈では
立花大敬さんの「般若心経願望実現」が一頭地を抜いているように思っています。
もちろん人それぞれですが、このCDは一聴の価値があるように思います。
THD WEBショップ本店>>『立花大敬 般若心経願望実現』
2009年09月30日
クマったことだ
シルバーウイークという言葉を、先日はじめて耳にしました。
そんな聞いたこともないような連休を利用して、
ひるがの高原・ホープファームに社員旅行に行ってきました。
その後出張が続いたり、なんだかんだとばたばたしているうちに、
ブログを書くことをすっかり忘れていました。
これからまた一念発起して書くことに致します。
今年は9月20日から26日までがお彼岸でした。
チャレンジPPKの杉浦和尚にお聞きしたところ、
お彼岸というのは「到彼岸」の略だそうです。
三途の川をはさんで、こっち側が此岸(しがん)、向こう岸が彼岸です。
此岸というのは私たち欲の深い人間が住んでいる煩悩の渦巻く世界で、
三途の川を渡るとそこが彼岸。
涅槃すなわち極楽です。
どろどろとしたこっち側の岸に住んでいると、
向こう岸が光り輝く天国だということは考えられないのではないでしょうか?
だから地獄のような世界から抜け出し難いのですね。
お彼岸という行事は、仏様の住んでおられる極楽浄土を衆生に示し、
みんなを往生に導こうとする仏事で、日本では紀元800年ごろから
続いている由緒ある行事です。
要するに、人は本来、光り輝く美しい存在なのですよということを
教えていただき、身を引き締める貴重な行事なのです。
お彼岸を前にした9月19日、高山市の乗鞍スカイラインの駐車場で、
観光客など男女9人が山から降りてきたツキノワグマに次々襲われるという
痛ましい事件が発生したと報道されているのを知りました。
高山市というのは、ひるがの高原から眼と鼻の先なので、何か因縁を感じたしだいです。
専門家によると、クマは大変臆病な動物で、身に危険を感じないかぎり
自分から人を襲うというのはありえない動物なのでそうです。
しかしこの事件は、恨みなど何らかの意図をもって
クマが人間を襲ったとしか考えられない事件でした。
「誰でもいいから襲いたかった」と犯人がもらしたと伝えられる
秋葉原の無差別殺人事件と酷似しているのではないでしょうか?
よりによってタイミングもお彼岸直前です。
クマの天命の範疇を超えた事件でした。
これからやってくる社会は、
従来とは全く違う原理で動いていくことを予感させられた、
いわば宇宙的な事件でした。
そんな聞いたこともないような連休を利用して、
ひるがの高原・ホープファームに社員旅行に行ってきました。
その後出張が続いたり、なんだかんだとばたばたしているうちに、
ブログを書くことをすっかり忘れていました。
これからまた一念発起して書くことに致します。
今年は9月20日から26日までがお彼岸でした。
チャレンジPPKの杉浦和尚にお聞きしたところ、
お彼岸というのは「到彼岸」の略だそうです。
三途の川をはさんで、こっち側が此岸(しがん)、向こう岸が彼岸です。
此岸というのは私たち欲の深い人間が住んでいる煩悩の渦巻く世界で、
三途の川を渡るとそこが彼岸。
涅槃すなわち極楽です。
どろどろとしたこっち側の岸に住んでいると、
向こう岸が光り輝く天国だということは考えられないのではないでしょうか?
だから地獄のような世界から抜け出し難いのですね。
お彼岸という行事は、仏様の住んでおられる極楽浄土を衆生に示し、
みんなを往生に導こうとする仏事で、日本では紀元800年ごろから
続いている由緒ある行事です。
要するに、人は本来、光り輝く美しい存在なのですよということを
教えていただき、身を引き締める貴重な行事なのです。
お彼岸を前にした9月19日、高山市の乗鞍スカイラインの駐車場で、
観光客など男女9人が山から降りてきたツキノワグマに次々襲われるという
痛ましい事件が発生したと報道されているのを知りました。
高山市というのは、ひるがの高原から眼と鼻の先なので、何か因縁を感じたしだいです。
専門家によると、クマは大変臆病な動物で、身に危険を感じないかぎり
自分から人を襲うというのはありえない動物なのでそうです。
しかしこの事件は、恨みなど何らかの意図をもって
クマが人間を襲ったとしか考えられない事件でした。
「誰でもいいから襲いたかった」と犯人がもらしたと伝えられる
秋葉原の無差別殺人事件と酷似しているのではないでしょうか?
よりによってタイミングもお彼岸直前です。
クマの天命の範疇を超えた事件でした。
これからやってくる社会は、
従来とは全く違う原理で動いていくことを予感させられた、
いわば宇宙的な事件でした。
2009年09月18日
虫の話
夜、ぼーっとしていたり、朝、散歩していて感じることですが、
今年の秋はなんだか「虫の音」があまり聞こえないような気がします。
そこで角田博士の研究を思い出しました。
東京医科歯科大学名誉教授・角田忠信博士によって、
日本人の脳のあり方が世界でもきわめてユニークであることが解明されています。
「日本人の脳」という本が出版され話題を呼んだのは、
1970年代の後半のことであったように思います。
たとえば虫の音や川のせせらぎの音などを、西洋人は右脳で処理するのに対し、
日本人は左脳で聞いているというのです。
日本人が川の音を聞くと、「さらさら」と聞こえますし、
虫の音にしても「チンチロリン」とか「ガチャガチャガチャ」とか、
何か意味があるように聞こえてきますね。
ところが川のせせらぎや虫の音など自然界の音は、
西洋人には雑音にしか聞こえないのだそうです。
日本人は自然と一体となって暮らしている情緒の深い民族なのだと思います。
そう言うと「腹の虫がおさまらない」とか「虫の居所が悪い」とか
「お腹がすいたので虫抑えに、少し食べておこう」など
という言葉を頻繁に使います。
どうやら日本人の体の中には虫が住みついているのかもしれませんね。

今年の秋はなんだか「虫の音」があまり聞こえないような気がします。
そこで角田博士の研究を思い出しました。
東京医科歯科大学名誉教授・角田忠信博士によって、
日本人の脳のあり方が世界でもきわめてユニークであることが解明されています。
「日本人の脳」という本が出版され話題を呼んだのは、
1970年代の後半のことであったように思います。
たとえば虫の音や川のせせらぎの音などを、西洋人は右脳で処理するのに対し、
日本人は左脳で聞いているというのです。
日本人が川の音を聞くと、「さらさら」と聞こえますし、
虫の音にしても「チンチロリン」とか「ガチャガチャガチャ」とか、
何か意味があるように聞こえてきますね。
ところが川のせせらぎや虫の音など自然界の音は、
西洋人には雑音にしか聞こえないのだそうです。
日本人は自然と一体となって暮らしている情緒の深い民族なのだと思います。
そう言うと「腹の虫がおさまらない」とか「虫の居所が悪い」とか
「お腹がすいたので虫抑えに、少し食べておこう」など
という言葉を頻繁に使います。
どうやら日本人の体の中には虫が住みついているのかもしれませんね。

2009年09月17日
荒城の月
先日、フルート奏者で、手当て療法の達人の松原廣始さんと歓談中に、
「仙台の青葉城を舞台とする“荒城の月”は日本の生んだ名曲だ。
いつか青葉城でコンサートをやってみたい」という話になりました。
来年のいつか、実現すればいいなと思っているところです。
歌詞も素晴らしいですね。
そこで「友の会の皆様に歌詞をお伝えしよう。全部は知らないので調べてみよう」と思って、
ネットを開いたところ、松原氏からメールが来ていました。
見ると、「荒城の月」の歌詞が全文紹介されているではありませんか。
シンクロしているのですね!
そして松原氏のこんなメッセージが入っていました。
『一番はよく知られていますが、私は2番以降が好きで、
特に4番を聞くといつも涙が出ます。
何となく秋に歌うのが心に沁みるように思います。』
皆様に転送させていただきましょう。
『荒城の月』
1. 春高楼(こうろう)の花の宴 巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い)でし 昔の光今いづこ
2. 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿ひし 昔の光今いづこ
3. 今荒城の夜半(よわ)の月 変わらぬ光誰(た)がためぞ
垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌ふ(うとう)はただ嵐
4. 天上影は変はらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿
映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月
「仙台の青葉城を舞台とする“荒城の月”は日本の生んだ名曲だ。
いつか青葉城でコンサートをやってみたい」という話になりました。
来年のいつか、実現すればいいなと思っているところです。
歌詞も素晴らしいですね。
そこで「友の会の皆様に歌詞をお伝えしよう。全部は知らないので調べてみよう」と思って、
ネットを開いたところ、松原氏からメールが来ていました。
見ると、「荒城の月」の歌詞が全文紹介されているではありませんか。
シンクロしているのですね!
そして松原氏のこんなメッセージが入っていました。
『一番はよく知られていますが、私は2番以降が好きで、
特に4番を聞くといつも涙が出ます。
何となく秋に歌うのが心に沁みるように思います。』
皆様に転送させていただきましょう。
『荒城の月』
1. 春高楼(こうろう)の花の宴 巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い)でし 昔の光今いづこ
2. 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿ひし 昔の光今いづこ
3. 今荒城の夜半(よわ)の月 変わらぬ光誰(た)がためぞ
垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌ふ(うとう)はただ嵐
4. 天上影は変はらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿
映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月
2009年09月16日
けじめをなくした日本人
今朝のことです。
田んぼのあぜ道に真っ赤な彼岸花(曼珠沙華)が咲いていました。
毎年「敬老の日」の前後になると、田んぼの周辺から突如として
真っ赤な花が眼に飛び込んで来ます。
昨日までは咲いていなかったのに、いつも意表をつかれてばかりです。
昨年は、来年こそは花が咲く前に見つけてやろうと思っていたのですが、
気がついてみれば、真っ赤な曼珠沙華の花が咲いているのです。
「今年もダメだったなあ、ところで今日は何日だったかなあ」と思って
「敬老の日」が過ぎていることに気づきました。
ところが今年の「敬老の日」は9月15日ではないのですね。
9月20日から23日まで連休になっていて、
どうやら、その中の一日が「敬老の日」らしいのです。
そういうと、この数年、祝日をずらして、
わざわざ連休にするという取り決めになっているらしく、
何がなんだか分からなくなっていることが多いように思うのです。
9月15日を「敬老の日」としたのなら、
「敬老の日」は9月15日であるべきだと思うのです。
連休にしたほうが何かと便利だからいいではないか、
ということなのだと思うのですが、この制度は、子どもに飴玉をねぶらせて
ご機嫌を取るような、その場しのぎの策のような気がしてなりません。
小さなことのようですが、「けじめをつける」という日本人らしさの本質を
見失わせてしまう制度だと思うのです。
蟻の穴から堤防は決壊すると言われていますが、
そんなことが増えているのではないでしょうか?
田んぼのあぜ道に真っ赤な彼岸花(曼珠沙華)が咲いていました。
毎年「敬老の日」の前後になると、田んぼの周辺から突如として
真っ赤な花が眼に飛び込んで来ます。
昨日までは咲いていなかったのに、いつも意表をつかれてばかりです。
昨年は、来年こそは花が咲く前に見つけてやろうと思っていたのですが、
気がついてみれば、真っ赤な曼珠沙華の花が咲いているのです。
「今年もダメだったなあ、ところで今日は何日だったかなあ」と思って
「敬老の日」が過ぎていることに気づきました。
ところが今年の「敬老の日」は9月15日ではないのですね。
9月20日から23日まで連休になっていて、
どうやら、その中の一日が「敬老の日」らしいのです。
そういうと、この数年、祝日をずらして、
わざわざ連休にするという取り決めになっているらしく、
何がなんだか分からなくなっていることが多いように思うのです。
9月15日を「敬老の日」としたのなら、
「敬老の日」は9月15日であるべきだと思うのです。
連休にしたほうが何かと便利だからいいではないか、
ということなのだと思うのですが、この制度は、子どもに飴玉をねぶらせて
ご機嫌を取るような、その場しのぎの策のような気がしてなりません。
小さなことのようですが、「けじめをつける」という日本人らしさの本質を
見失わせてしまう制度だと思うのです。
蟻の穴から堤防は決壊すると言われていますが、
そんなことが増えているのではないでしょうか?

2009年09月14日
遊
昨日、横浜で行われていた人間クラブミーティングで、
久しぶりに鹿内哲則さんにお会いしました。
9月1日に健康食品や化粧品を製造販売することを目的として
株式会社遊愛舎を開業されたのでした。
このとき鹿内さんに「遊」の意味についてお聞きし、
「なるほどな」と思ったのでご紹介させていただきます。
「字統」「字訓」「字通」を刊行するなど、漢字の研究で素晴らしい成果をあげられた
漢字研究の泰斗、故立命館大学名誉教授白川静氏によりますと、
「遊」というのは、もと神の出遊をいう字であったのだそうです。
神を奉じてゆくことを言い、神のように自由に行動することをも意味するのだそうです。
遊芸というのは、祭祀儀礼など、もと神事に起源するものであったということです。
今では「遊ぶ」というと、何かレベルの低い戯れのようなイメージがあるようですが、
元来、戯れる意に用いる例はないのだそうです。
「遊ばす」となると尊敬の助動詞だそうです。
その昔、子どもたちを集めて「遊びの学校」をやっていたことを思い出しました。
子どもは遊びを通して成長するものだと思い、自然の中で思い切り遊ぶ体験を積むことこそが、
子どもの未来を切り開いていくに違いないと思ったからです。
鹿内さんは、そんな貴重な「遊」という字を社名につけておられるので、
きっと品格のある素晴らしい会社をお創りになり、成長していかれるのだと思います。
経営とは理念を形にすることだと思っています。
そんな会社が増えるといいですね。
久しぶりに鹿内哲則さんにお会いしました。
9月1日に健康食品や化粧品を製造販売することを目的として
株式会社遊愛舎を開業されたのでした。
このとき鹿内さんに「遊」の意味についてお聞きし、
「なるほどな」と思ったのでご紹介させていただきます。
「字統」「字訓」「字通」を刊行するなど、漢字の研究で素晴らしい成果をあげられた
漢字研究の泰斗、故立命館大学名誉教授白川静氏によりますと、
「遊」というのは、もと神の出遊をいう字であったのだそうです。
神を奉じてゆくことを言い、神のように自由に行動することをも意味するのだそうです。
遊芸というのは、祭祀儀礼など、もと神事に起源するものであったということです。
今では「遊ぶ」というと、何かレベルの低い戯れのようなイメージがあるようですが、
元来、戯れる意に用いる例はないのだそうです。
「遊ばす」となると尊敬の助動詞だそうです。
その昔、子どもたちを集めて「遊びの学校」をやっていたことを思い出しました。
子どもは遊びを通して成長するものだと思い、自然の中で思い切り遊ぶ体験を積むことこそが、
子どもの未来を切り開いていくに違いないと思ったからです。
鹿内さんは、そんな貴重な「遊」という字を社名につけておられるので、
きっと品格のある素晴らしい会社をお創りになり、成長していかれるのだと思います。
経営とは理念を形にすることだと思っています。
そんな会社が増えるといいですね。

2009年09月12日
続・意識の型
人の体は新陳代謝を繰り返していて、常に古い細胞を新しい細胞に更新しています。
いまではいろんなことが分かってきて、人の体は、一年もすれば、
98%の細胞が消えてなくなり、新しい細胞に入れ替わっているのだそうです。
胃、腸、肝臓などは入れ替わりの速度はもっと早くて、
3ヶ月もすれば古い器官はなくなり、新しい器官に入れ替わっているといわれています。
とするなら、一年も二年も調子がおかしいという慢性病は一体どうなっているのでしょうね。
「他にどこも調子の悪いところはないのだけれど、生まれつき胃腸が弱くてね。」
というのはよく聞く話ではないでしょうか?
どうなっているのでしょうね?
原始の動物は病気にはならない、あるいは病気では死なない、と言われています。
彼らは万物をつくり上げている宇宙とダイレクトにつながっているから、
常に新鮮な細胞が時々刻々、つくられているのだと思われます。
考えてみれば、体の調子のおかしいのは人間だけですね。
最近ペットの体の調子がおかしいということがあるそうですが、
人間が乗り移っているのでしょうね。
プラスティックで出来た化粧品の容器をイメージしてみてください。
この容器を作るためには、金型に液状になったプラスティックの原料を流し込み、
冷やして固めると金型と同じ型をした容器が出来上がります。
もし出来たプラスティックの容器がゆがんでいたとすると、
それは金型がゆがんでいるからということになります。
だから正常な製品を作ろうとすれば、金型を修正する必要がありますね。
人間の体も金型と容器の関係に似ています。
体がゆがんでいるとすると、体をいくらいじりまわしてもどうにもなりません。
金型がゆがんでいるのですから。
金型というのは何なのでしょうか?
容器の場合の金型すなわち“鋳型”にあたるのは、
体の場合、意識の型すなわち“意型”です。
“意型”というのは記憶です。
慢性病は潜在意識の記憶が作り出しているのです。
どうしようもないことは、キレイさっぱり忘れてパーっと明るくいきましょう!!
「元気になれば病気は治る」のです。
いまではいろんなことが分かってきて、人の体は、一年もすれば、
98%の細胞が消えてなくなり、新しい細胞に入れ替わっているのだそうです。
胃、腸、肝臓などは入れ替わりの速度はもっと早くて、
3ヶ月もすれば古い器官はなくなり、新しい器官に入れ替わっているといわれています。
とするなら、一年も二年も調子がおかしいという慢性病は一体どうなっているのでしょうね。
「他にどこも調子の悪いところはないのだけれど、生まれつき胃腸が弱くてね。」
というのはよく聞く話ではないでしょうか?
どうなっているのでしょうね?
原始の動物は病気にはならない、あるいは病気では死なない、と言われています。
彼らは万物をつくり上げている宇宙とダイレクトにつながっているから、
常に新鮮な細胞が時々刻々、つくられているのだと思われます。
考えてみれば、体の調子のおかしいのは人間だけですね。
最近ペットの体の調子がおかしいということがあるそうですが、
人間が乗り移っているのでしょうね。
プラスティックで出来た化粧品の容器をイメージしてみてください。
この容器を作るためには、金型に液状になったプラスティックの原料を流し込み、
冷やして固めると金型と同じ型をした容器が出来上がります。
もし出来たプラスティックの容器がゆがんでいたとすると、
それは金型がゆがんでいるからということになります。
だから正常な製品を作ろうとすれば、金型を修正する必要がありますね。
人間の体も金型と容器の関係に似ています。
体がゆがんでいるとすると、体をいくらいじりまわしてもどうにもなりません。
金型がゆがんでいるのですから。
金型というのは何なのでしょうか?
容器の場合の金型すなわち“鋳型”にあたるのは、
体の場合、意識の型すなわち“意型”です。
“意型”というのは記憶です。
慢性病は潜在意識の記憶が作り出しているのです。
どうしようもないことは、キレイさっぱり忘れてパーっと明るくいきましょう!!
「元気になれば病気は治る」のです。

2009年09月11日
意識の型
トータルヘルスデザインは「元気の力を暮らしに生かす」を社是としています。
もし病気になったとします。
従来の概念では「病気を治して健康になる」ために病院に通うというのが通例です。
しかし「病気を治して健康になる」という発想で健康になるのなら、
世の中、健康な人だらけ、年々、病院の数は減っていくことになるはずです。
現実は違いますね。
病人は増える一方で、医療費の増大が国家財政を揺るがしているのですから、
考え方が根本的に間違っているということになるのではないでしょうか?
私どもでは「元気になれば病気は治る」という発想のもとに
「元気な暮らし」を提案しています。
とはいっても何が起こるかわからないのが世の常です。
いつ病気になるかわかりません。
運悪く病気になってしまったら、病気のことは体に任せて、
心は元気、元気で行こうではありませんか。
要するに病気のことは忘れてしまい、イキイキわくわく生きればよいという発想です。
人は体と心を与えられています。だから心をうまく使えば何事もうまく行くはずです。
心をうまく使いましょう。
心を使っているのは意識です。意識がちぢこまっていると、
心もそれに従ってちぢこまってきます。
意識を宇宙意識にフォーカスして宇宙いっぱいに広げましょう。
宇宙と共鳴し、元気、元気でいきましょう。
(続く)
もし病気になったとします。
従来の概念では「病気を治して健康になる」ために病院に通うというのが通例です。
しかし「病気を治して健康になる」という発想で健康になるのなら、
世の中、健康な人だらけ、年々、病院の数は減っていくことになるはずです。
現実は違いますね。
病人は増える一方で、医療費の増大が国家財政を揺るがしているのですから、
考え方が根本的に間違っているということになるのではないでしょうか?
私どもでは「元気になれば病気は治る」という発想のもとに
「元気な暮らし」を提案しています。
とはいっても何が起こるかわからないのが世の常です。
いつ病気になるかわかりません。
運悪く病気になってしまったら、病気のことは体に任せて、
心は元気、元気で行こうではありませんか。
要するに病気のことは忘れてしまい、イキイキわくわく生きればよいという発想です。
人は体と心を与えられています。だから心をうまく使えば何事もうまく行くはずです。
心をうまく使いましょう。
心を使っているのは意識です。意識がちぢこまっていると、
心もそれに従ってちぢこまってきます。
意識を宇宙意識にフォーカスして宇宙いっぱいに広げましょう。
宇宙と共鳴し、元気、元気でいきましょう。
(続く)

2009年09月10日
女の時代
先日、「ホ・オポノポノ」のヒューレン博士とお会いしたとき、博士は
「日本にくると、女の人のうらみがたまっていることをひしひしと感じる」
と悲しそうな表情で話しておられました。
日本という国はいままで、
女の人の犠牲の上に立って出来上がってきたのだろうと
感じたしだいです。
しかしいまや完全に“女の時代”と呼ぶにふさわしい時代になったように思います。
社会全般を見渡してみると、まだまだ女の人に分が悪いことは否めませんが、
女性の能力が求められる社会になっていくことは明らかだといってよいと思います。
それと呼応して、女の人の力がないと成り立たないような社会構造になりつつあるのを
感じざるを得ません。
男はますます肩身が狭くなるのではないでしょうか?
さてこれから男はどうするのだということが問われますね。
日本語には漢字、平がな、カタカナがあってなんだか複雑そうですが、
そのお蔭で微妙なニュアンスを伝えることができます。
その昔、平がなは女の人が使うものというのが常識だったそうですが、
紀貫之がはじめて、平がなで「土佐日記」を書いたことから、
男の人も使うようになったと伝えられています。
とりあえず女の人について行くのが良いのかもしれませんね。
「日本にくると、女の人のうらみがたまっていることをひしひしと感じる」
と悲しそうな表情で話しておられました。
日本という国はいままで、
女の人の犠牲の上に立って出来上がってきたのだろうと
感じたしだいです。
しかしいまや完全に“女の時代”と呼ぶにふさわしい時代になったように思います。
社会全般を見渡してみると、まだまだ女の人に分が悪いことは否めませんが、
女性の能力が求められる社会になっていくことは明らかだといってよいと思います。
それと呼応して、女の人の力がないと成り立たないような社会構造になりつつあるのを
感じざるを得ません。
男はますます肩身が狭くなるのではないでしょうか?
さてこれから男はどうするのだということが問われますね。
日本語には漢字、平がな、カタカナがあってなんだか複雑そうですが、
そのお蔭で微妙なニュアンスを伝えることができます。
その昔、平がなは女の人が使うものというのが常識だったそうですが、
紀貫之がはじめて、平がなで「土佐日記」を書いたことから、
男の人も使うようになったと伝えられています。
とりあえず女の人について行くのが良いのかもしれませんね。
Posted by (株)トータルヘルスデザイン会長 近藤洋一 at
09:30
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2009年09月09日
七福神
今日、9月9日は「七福神の宝船」が飛来する日なのだそうです。
ハッピーな顔をしているとハッピーなことが起こるのでしょうね。
去る6日、ヒューレン博士の「ホ・オポノポノ」セミナーを聴講してきました。
帰りがけに雑踏の中で、ある方から
「このCDを差し上げます」と言って一枚のCDをいただきました。
この親切な方にお名前をお聞きするのを忘れて、別れてしまいました。
見ると、そのCDはナラカズオさん作詞作曲の「幸福ことばうた~with七福神」でした。
早速聞かせていただいたのですが、大変軽快で愉快な、
見る見るついてくるような雰囲気をかもし出す歌でした。
タイミングの良いことに
今日9月9日は「七福神の宝船」が飛来する日です。
ばっちり社員のみんなと聞かせていただいています。
うっかりお名前をお聞きするのを忘れていて申し訳なく思っています。
ブログを借りて御礼申し上げます。
ありがとうございます。
みんなで幸せを分かち合いたいと思います。
ハッピーな顔をしているとハッピーなことが起こるのでしょうね。
去る6日、ヒューレン博士の「ホ・オポノポノ」セミナーを聴講してきました。
帰りがけに雑踏の中で、ある方から
「このCDを差し上げます」と言って一枚のCDをいただきました。
この親切な方にお名前をお聞きするのを忘れて、別れてしまいました。
見ると、そのCDはナラカズオさん作詞作曲の「幸福ことばうた~with七福神」でした。
早速聞かせていただいたのですが、大変軽快で愉快な、
見る見るついてくるような雰囲気をかもし出す歌でした。
タイミングの良いことに
今日9月9日は「七福神の宝船」が飛来する日です。
ばっちり社員のみんなと聞かせていただいています。
うっかりお名前をお聞きするのを忘れていて申し訳なく思っています。
ブログを借りて御礼申し上げます。
ありがとうございます。
みんなで幸せを分かち合いたいと思います。







