2007年03月26日
引き受け気功
ずい分以前から、21世紀は心の時代と言われてきました。
その割には物への執着が目立つ世相ですね。
「ころころ変わるから心というのだ」といわれるくらい、心はもう一つ掴み所がありません。
その上、心を無防備にあまり露出しすぎると傷つくことも多いので、人はついつい隠したがります。
その代わり人は、心を「気」として出しています。
「気は心」といいますね。というわけで、「21世紀は気の時代」といったほうが良いのかもしれません。
この10年ほどの間に気功など「気」を使いこなす技術が注目を集めているのは
そんな時流があるからなのだと思います。
私たちは「気」という生命エネルギーをいただきながら、日々暮らしているわけですから、
「気」を上手に使っていく必要があります。
昨日の晩、京都本社で、「引き受け気功」で有名な藤谷康允(やすみつ)さんと
お酒を飲みながら、「引き受け気功」の真髄をお聞きしました。
人生には病気をはじめ、次から次へと嫌なことが起こるものです。
ピンチの連続で、毎日が三隣亡ということもありますね。
プラス発想をすればよいのですが、そんなときに限ってなかなかうまくいかなかったりします。
病気や悩み事など嫌なことがあると、ついつい逃げたくなります。
不思議なことに逃げれば逃げるだけ嫌なことが追いかけてくるものです。
そんな時、逃げずに現実をがっちり受け止めよう、たとえガンだとしても、
それは自分の中にある問題点を気づかせてくれる有難い出来事なのだから、
すべてを肯定して引き受けようというのが「引き受け気功」なのです。
やって来ることは嫌がらずに引き受けると、問題はあっという間に解決するというのだから驚きです。
引き受け気功を完全にマスターすると、人生のあらゆる悩みから開放され、
いきいき湧く湧くの人生が展開されるという凄い気功です。
さぞかし難しいのだろうなと思ってしまうのではないでしょうか?
ところがこれが実にシンプルなのですから驚きです。
早い人なら一回講義を受けただけで、気功師になってしまうくらい簡単なのです。
9月9日;東京、9月23日大阪にて藤谷先生をお迎えしてセミナーを開催します。
まだだいぶ時間がありますが、楽しみになさってください。

その割には物への執着が目立つ世相ですね。
「ころころ変わるから心というのだ」といわれるくらい、心はもう一つ掴み所がありません。
その上、心を無防備にあまり露出しすぎると傷つくことも多いので、人はついつい隠したがります。
その代わり人は、心を「気」として出しています。
「気は心」といいますね。というわけで、「21世紀は気の時代」といったほうが良いのかもしれません。
この10年ほどの間に気功など「気」を使いこなす技術が注目を集めているのは
そんな時流があるからなのだと思います。
私たちは「気」という生命エネルギーをいただきながら、日々暮らしているわけですから、
「気」を上手に使っていく必要があります。
昨日の晩、京都本社で、「引き受け気功」で有名な藤谷康允(やすみつ)さんと
お酒を飲みながら、「引き受け気功」の真髄をお聞きしました。
人生には病気をはじめ、次から次へと嫌なことが起こるものです。
ピンチの連続で、毎日が三隣亡ということもありますね。
プラス発想をすればよいのですが、そんなときに限ってなかなかうまくいかなかったりします。
病気や悩み事など嫌なことがあると、ついつい逃げたくなります。
不思議なことに逃げれば逃げるだけ嫌なことが追いかけてくるものです。
そんな時、逃げずに現実をがっちり受け止めよう、たとえガンだとしても、
それは自分の中にある問題点を気づかせてくれる有難い出来事なのだから、
すべてを肯定して引き受けようというのが「引き受け気功」なのです。
やって来ることは嫌がらずに引き受けると、問題はあっという間に解決するというのだから驚きです。
引き受け気功を完全にマスターすると、人生のあらゆる悩みから開放され、
いきいき湧く湧くの人生が展開されるという凄い気功です。
さぞかし難しいのだろうなと思ってしまうのではないでしょうか?
ところがこれが実にシンプルなのですから驚きです。
早い人なら一回講義を受けただけで、気功師になってしまうくらい簡単なのです。
9月9日;東京、9月23日大阪にて藤谷先生をお迎えしてセミナーを開催します。
まだだいぶ時間がありますが、楽しみになさってください。

Posted by (株)トータルヘルスデザイン会長 近藤洋一 at
17:54
2007年03月23日
最後だと分かっていたなら
古賀仁珠様から素晴らしい詩をお聞きしましたので、
転載させていただきます。
あなたが眠りにつくのを見るのが、最後だとわかっていたら、
私はもっとちゃんとカバーを掛けて、神様にあなたを守って
下さるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが、最後だと分かっていたら
私はあなたを抱きしめ、そしてまた、もう一度呼び寄せ、抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声を上げるのを聞くのが最後だと分かっていたら
私はその一部始終をビデオにとって毎日繰り返し見ただろう
確かにいつも、明日はやってくる
見過ごしたことも取り返せる
やり間違ったことも、やり直す機会がいつでも与えられている と、思っている
でも、もしそれが私の勘違いで、今日がすべて終わるとしたら
私は今日、できるだけのことをしたい
そして私たちは忘れないようにしなければならないのだ!
若い人も年老いた人も、明日は誰にも約束されていないのだということを
そして、今日が最後になるかもしれないことを
明日が来ると思っているから、今日も過ぎ去っていくのだ
もし明日が来ないとしたら、あなたは今日を後悔するだろう
大切な人とコミュニケーションする
ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと
忙しさを理由に、本当にやるべきことをやったような気で過ごしてしまったのかと
だから今日、精一杯生きよう
そして、あなたの大切な人たちに
いつまでも大切な存在だということを、しっかり伝えよう
本当に精一杯生きているか、毎日、自分に振り返ろう
やり残したことはないのか?
意味ある生き方をしたいのか?
役に立つ生き方をしたのか?
そして、精一杯に行動しよう
また、「ごめんね」や「許して」や「ありがとう」や「大丈夫」を伝える時を持とう
そうすればもし明日が来ないとしても、あなたは今日を後悔しないだろう
今を大切にしよう!
今を生きよう!
今を精一杯にしよう!
今するべきことをやろう!
ローランホートン 2001.9.11 アメリカテロ直後
転載させていただきます。
あなたが眠りにつくのを見るのが、最後だとわかっていたら、
私はもっとちゃんとカバーを掛けて、神様にあなたを守って
下さるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが、最後だと分かっていたら
私はあなたを抱きしめ、そしてまた、もう一度呼び寄せ、抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声を上げるのを聞くのが最後だと分かっていたら
私はその一部始終をビデオにとって毎日繰り返し見ただろう
確かにいつも、明日はやってくる
見過ごしたことも取り返せる
やり間違ったことも、やり直す機会がいつでも与えられている と、思っている
でも、もしそれが私の勘違いで、今日がすべて終わるとしたら
私は今日、できるだけのことをしたい
そして私たちは忘れないようにしなければならないのだ!
若い人も年老いた人も、明日は誰にも約束されていないのだということを
そして、今日が最後になるかもしれないことを
明日が来ると思っているから、今日も過ぎ去っていくのだ
もし明日が来ないとしたら、あなたは今日を後悔するだろう
大切な人とコミュニケーションする
ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと
忙しさを理由に、本当にやるべきことをやったような気で過ごしてしまったのかと
だから今日、精一杯生きよう
そして、あなたの大切な人たちに
いつまでも大切な存在だということを、しっかり伝えよう
本当に精一杯生きているか、毎日、自分に振り返ろう
やり残したことはないのか?
意味ある生き方をしたいのか?
役に立つ生き方をしたのか?
そして、精一杯に行動しよう
また、「ごめんね」や「許して」や「ありがとう」や「大丈夫」を伝える時を持とう
そうすればもし明日が来ないとしても、あなたは今日を後悔しないだろう
今を大切にしよう!
今を生きよう!
今を精一杯にしよう!
今するべきことをやろう!
ローランホートン 2001.9.11 アメリカテロ直後
Posted by (株)トータルヘルスデザイン会長 近藤洋一 at
09:15
2007年03月16日
蓮根
ビッグバン宇宙論によりますと、一粒の光が大爆発を起こしてこの宇宙は始まったということです。
聖書にも「始めに光あれ」というフレーズが出てきたように思います。
どうやら私たちの宇宙は一粒の光から始まったといってもよいようです。
もちろん光といっても太陽光線のような光ではありません。
宇宙意識を凝縮した光です。すべてのものが光からできていると本当に思えたとしたら
この世はパラダイスではないでしょうか?
人生を価値あるものにするのも、つまらないものにするのも、要は
「この世をどのように認識するか」にかかっているからです。
泥の中で蓮の華が美しく咲いているのをみると、やっぱり蓮は泥でできているのではなく
光が凝集してできているのだなということが納得いきますね。

先日、朝会でそんなことをみんなに話していたら、そのすぐ後中川さんという方が来社され、
蓮根の話になりました。岡田多母さんも言っておられるように宇宙の波動が変化していて、
必要な情報がなんでもすぐに入ってくるようになったように思います。
中川さんいわく
「皆さん、蓮根を料理するとき、ヨコにぶつ切りにするでしょう。
これでは蓮根の値打ちが下がってしまいますよ。蓮根はタテに極細のパイプが通っていて、
そこを通して養分が全体に行きわたるようになっているのです。
だから白菜やキャベツのようにタテに切って調理する必要があるのです」
ということでした。
極細のパイプがあるから、泥をくみ上げるのではなく、何か不思議なエネルギーを吸い上げ、
貴重な栄養分に変換しているのですね。
人の体にも極細のパイプが通っているのだと思います。
泥ではなく光の粒に通ってもらいたいものですね。
聖書にも「始めに光あれ」というフレーズが出てきたように思います。
どうやら私たちの宇宙は一粒の光から始まったといってもよいようです。
もちろん光といっても太陽光線のような光ではありません。
宇宙意識を凝縮した光です。すべてのものが光からできていると本当に思えたとしたら
この世はパラダイスではないでしょうか?
人生を価値あるものにするのも、つまらないものにするのも、要は
「この世をどのように認識するか」にかかっているからです。
泥の中で蓮の華が美しく咲いているのをみると、やっぱり蓮は泥でできているのではなく
光が凝集してできているのだなということが納得いきますね。

先日、朝会でそんなことをみんなに話していたら、そのすぐ後中川さんという方が来社され、
蓮根の話になりました。岡田多母さんも言っておられるように宇宙の波動が変化していて、
必要な情報がなんでもすぐに入ってくるようになったように思います。
中川さんいわく
「皆さん、蓮根を料理するとき、ヨコにぶつ切りにするでしょう。
これでは蓮根の値打ちが下がってしまいますよ。蓮根はタテに極細のパイプが通っていて、
そこを通して養分が全体に行きわたるようになっているのです。
だから白菜やキャベツのようにタテに切って調理する必要があるのです」
ということでした。
極細のパイプがあるから、泥をくみ上げるのではなく、何か不思議なエネルギーを吸い上げ、
貴重な栄養分に変換しているのですね。
人の体にも極細のパイプが通っているのだと思います。
泥ではなく光の粒に通ってもらいたいものですね。
Posted by (株)トータルヘルスデザイン会長 近藤洋一 at
15:32
2007年03月02日
100匹目の猿
2月27、28日の両日、宮崎県串間市の幸島に行ってまいりました。
幸島は「100匹目の猿」発祥の地として有名です。
それもひとえに、三戸サツヱさんが昭和23年(1948年)以来ずっとお猿さんの世話を
続けてこられたからなのですが、三戸さんはいまも元気で畑仕事に精を出しておられます。
大正3年生まれなので、今年93歳なのですが、頭脳明晰、足腰もしゃんとしておられ、
もうびっくりしてしまいました。
そこで先ず100匹目のサルのエピソードをご紹介しておきましょう。
昭和28年の夏のことです。三戸さんはいつものように、サツマイモを餌小屋の前に放り出し、
サルがそれを食べるのを観察していました。
すると一匹の子ザルが、イモを持って川の流れのほうに向かいました。
そして川にイモをつけて、水に濡れたイモを食べ始めたのです。
それ以来、三戸さんはこの子ザルの行動を観察し続けました。
そのうち、この子ザルは岸に座ると、イモを水につけごしごし洗い始めたのです。
三戸さんはこの子ザルの名前をイモと命名しました。
このイモの名はその後、世界中で有名になります。
イモ洗いの調査にこられた京都大学霊長類研究所の河合雅雄先生が、その後論文で発表し、
それが各国の動物学者に伝わり、動物にも文化があるということで、大きな話題を生むことに
なったのです。
その後、イモ洗いを真似するサルが現れ始めました。そしてイモ洗いは群れ全体に
広がったのですが、幸島の全部のサルにはいきわたりませんでした。
保守的な大人のサルはとうとう死ぬまでイモを洗って食べなかったのです。
人間と似ているのではないでしょうか?
新しい文化は若者からなのですね。
その後、イモ洗いの文化は何故か、大分県高崎山のサルや海を隔てた高知県のサルの間にも
見られるようになりました。
このことに着目したアメリカの科学者ライアル・ワトソンは、その著「生命潮流」のなかで、
「イモ洗いをするサルがある一定の割合すなわち臨界値に達すると、
その行動は一気に群れ全体に広がるとともに、直接コミュニケーションのとれない
遠く離れたサルの群れにも伝わるのだ」という「100匹目の猿」仮説を発表して話題を呼んだのです。
ライアル・ワトソンの仮説は人間社会にも当てはまるのだということで、いわゆるニューエイジの
人々の間でずい分話題になりました。
いま世界はとんでもない混乱状態にあります。このままいくとこの地球は、とことん荒廃し
人類の生息できない星になってしまうことは疑う余地もありません。
戦争や環境汚染に対して大声を上げて反対してもいつまで経っても解決しません。
もうそんな議論はやめて、一人一人が争いのない社会を静かにイメージするだけで良い、
そうすればあるときそんな高い意識を持つ人の数が臨界値に達するときが来て、
社会は一気に変わるのだという仮説です。
この仮説は正しいと思われます。
いま、このことを裏付けるさまざまな現象が日本全国いたるところで見られます。
後日発表させていただきます。今回はそのことを記念し、DVDに編集しようと
幸島に三戸さんを訪ねたのでした。

幸島は「100匹目の猿」発祥の地として有名です。
それもひとえに、三戸サツヱさんが昭和23年(1948年)以来ずっとお猿さんの世話を
続けてこられたからなのですが、三戸さんはいまも元気で畑仕事に精を出しておられます。
大正3年生まれなので、今年93歳なのですが、頭脳明晰、足腰もしゃんとしておられ、
もうびっくりしてしまいました。
そこで先ず100匹目のサルのエピソードをご紹介しておきましょう。
昭和28年の夏のことです。三戸さんはいつものように、サツマイモを餌小屋の前に放り出し、
サルがそれを食べるのを観察していました。
すると一匹の子ザルが、イモを持って川の流れのほうに向かいました。
そして川にイモをつけて、水に濡れたイモを食べ始めたのです。
それ以来、三戸さんはこの子ザルの行動を観察し続けました。
そのうち、この子ザルは岸に座ると、イモを水につけごしごし洗い始めたのです。
三戸さんはこの子ザルの名前をイモと命名しました。
このイモの名はその後、世界中で有名になります。
イモ洗いの調査にこられた京都大学霊長類研究所の河合雅雄先生が、その後論文で発表し、
それが各国の動物学者に伝わり、動物にも文化があるということで、大きな話題を生むことに
なったのです。
その後、イモ洗いを真似するサルが現れ始めました。そしてイモ洗いは群れ全体に
広がったのですが、幸島の全部のサルにはいきわたりませんでした。
保守的な大人のサルはとうとう死ぬまでイモを洗って食べなかったのです。
人間と似ているのではないでしょうか?
新しい文化は若者からなのですね。
その後、イモ洗いの文化は何故か、大分県高崎山のサルや海を隔てた高知県のサルの間にも
見られるようになりました。
このことに着目したアメリカの科学者ライアル・ワトソンは、その著「生命潮流」のなかで、
「イモ洗いをするサルがある一定の割合すなわち臨界値に達すると、
その行動は一気に群れ全体に広がるとともに、直接コミュニケーションのとれない
遠く離れたサルの群れにも伝わるのだ」という「100匹目の猿」仮説を発表して話題を呼んだのです。
ライアル・ワトソンの仮説は人間社会にも当てはまるのだということで、いわゆるニューエイジの
人々の間でずい分話題になりました。
いま世界はとんでもない混乱状態にあります。このままいくとこの地球は、とことん荒廃し
人類の生息できない星になってしまうことは疑う余地もありません。
戦争や環境汚染に対して大声を上げて反対してもいつまで経っても解決しません。
もうそんな議論はやめて、一人一人が争いのない社会を静かにイメージするだけで良い、
そうすればあるときそんな高い意識を持つ人の数が臨界値に達するときが来て、
社会は一気に変わるのだという仮説です。
この仮説は正しいと思われます。
いま、このことを裏付けるさまざまな現象が日本全国いたるところで見られます。
後日発表させていただきます。今回はそのことを記念し、DVDに編集しようと
幸島に三戸さんを訪ねたのでした。





