2008年07月04日

2012年問題

何度かお伝えしていますが、いま中村久子さんの人生をテーマとしたDVDを制作中です。

キャッスルロック・プランニングの斉藤満雄さんにご尽力いただいて、
素晴らしい作品ができつつあります。

全国の小中学生に観賞してもらい、輝かしい未来づくりの一助になればと思っています。


中村久子さんの人生に接していると、久子さんが帰依した親鸞聖人のことが気になります。

そんな時、「希望の星」ブログを執筆していただいているヨーガの達人・松原廣始さんから
「親鸞の告白」(梅原猛 小学館文庫)を読んで感激したという話を聞き、
早速取り寄せて読んでみました。

親鸞聖人については
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
という有名な言葉を知っている程度で、深いことについては何も知らなかったので、
この本にはずい分考えさせられました。

それと前後して、船井幸雄先生からお聞きした
「楽園実現か 転変地異か」(坂本政道 アメーバブックス新社)という本が
気になったので読んでみました。




坂本政道さんはモンロー研究所でのヘミシング体験を普及するために
(株)アクアビジョン・アカデミーを設立され、「死後体験」シリーズなどの著書を
発表されている人です。

坂本政道さんはこの本で

「いま、生命エネルギーが銀河系のコアから地球生命系に流れ込んでいて、

2012年には入ってくる量がピークを迎えることになる。

そのことによって人間意識の変化が起こるし、地球生命系自身も変化していくだろう。

そして人間は地球生命系から卒業していくのであるが、その過程でさまざまなことが起こる」


と述べておられます。

いま起こっているさまざまな激変もそうした出来事の一環なのかもしれませんね。

親鸞聖人は

この世で起こることはこの世に任せて、

ただひたすら念仏を唱えることが大切である。

あとは阿弥陀如来にお任せすれば

極楽浄土へ導いていただけるのだ


と説いておられます。

坂本政道さんの本を読んで、いま起こりつつある宇宙スケールの大変化も、
宇宙の意思が人間を極楽浄土へ導いてくださっていると理解することが
できるのではないかと感じたしだいです。


ところでいま、銀河系のコアから降りそそいでいる生命エネルギーは
物質のエネルギーではなく、生命を生命たらしめている非物質のエネルギーということです。

ロバート・モンローは「スーパーラブ、無条件の愛」と言っているそうです。

日本人の感覚からいうと慈悲心、菩提心という表現が適切なのかもしれません。

さてこれから何が起こるのでしょうか?  

Posted by (株)トータルヘルスデザイン会長 近藤洋一 at 10:35TrackBack(1)気づき

2008年07月02日

中村久子さん

いま中村久子さんの数奇な運命をテーマとしたDVDを制作中です。

久子さんは明治30年、岐阜県高山町の畳屋さんの娘として生を受けました。




幼い頃、脱疽という手足が腐ってくるという大変な病気になりました。

手足を切断するという決断を迫られていたのですが、あるとき、
久子さんの手がポロリと落ちてコタツのそばに転がっているのを見て、
お母さんが気を失ってしまうという事件がおきました。


両手両足を切断した久子さんのそれからの人生は、
五体満足な私たちの人生から見ると、それは、それは悲惨なものでした。

娘盛りの19歳のとき見世物小屋に身売りして、両手両足がないにもかかわらず、
針仕事から掃除・洗濯に至るまで何でも一人でやって見せるという芸を
売り物にして生活をしていたのです。


そんな久子さんにもあるとき転機がやってきます。

三重苦の聖女として有名なヘレン・ケラー女史が来日し、
彼女に抱きしめられたことがきっかけで講演活動を始め、
障害者が社会で安心して生きることができるよう全力を尽くし、
昭和43年、72歳で人生の幕を閉じたのでした。


久子さんは多くの歌を残しています。



    手足なき 身にしあれども 生かさるる

          いまのいのちは たふとかりけり

    極楽を ねがうこころは 更になし

          ただうれしきは 弥陀の名号

    もえさかる この煩悩を いかにせむ

          ただみ仏の み手のまにまに






久子さんは、親鸞聖人の教えをしっかり腹の底にきかせていただき、
仏道を歩ませていただきたいと述べておられます。


親鸞聖人のことについては、歎異抄の有名な一節

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

という言葉を通してしか理解していなかったので、
久子さんが親鸞聖人に帰依されていると聞いても
もうひとつ、ピンと来なかったのですが、これを機会に
梅原猛さんの「親鸞の告白」(小学館文庫)を読んでみました。

現代人は「南無阿弥陀仏」と唱えているだけで、
自動的に「極楽浄土」に行くことができるという
法然さんから親鸞さんへと伝わる思想にはとてもではないが、
なじまないのではないでしょうか?

この本を読んでみて、親鸞さんの思想はもっともっと深いものだと気づかされました。

親鸞さんの弟子・唯円さんが

「念仏で極楽へいけるのなら、早く死にたくなるはずなのに、
死にたい気持ちがいっこうに起こらないのは何故でしょう」

と尋ねています。

それに対して親鸞さんは


「私も同じことを考えていたが、早く死にたいという気持ちにならないのは
煩悩が強いからで、そう思うと私はますます往生確実だ」


と述べているのを知り、大変びっくりしました。


「この世のことはすべて過去生が原因となって起こっているのだから、
現世をあるがままに受け容れるしかない、それを自力で修正するというのは間違いだ。

この煩悩のある人間を極楽浄土へ連れて行ってくれるのが阿弥陀さんなのだ。
楽しくないからこそ自分たちが浄土へ行くことができるのだ」


というのが親鸞さんの基本的なスタンスなのです。


あるとき親鸞さんは唯円さんに

「私の言うことを何でも聞けるか」と尋ねます。

「はい。何でも言うことを聞きます」と唯円さん。

親鸞さんは

「それではこれから、人を千人殺してきなさい」というので

びっくりした唯円さんは
「いや、私には千人はおろか一人の人も殺すことはできません」
と答えます。

これからが真骨頂です。

親鸞さんは

「人間が心にまかせて善でも悪でもできるなら、往生のために千人殺せと
私が言ったのだから、お前はできるはずである。
しかしお前が一人でも殺すことができないのは、お前の中に殺すべき因縁が
備わっていないからである。自分の心がよくて殺さないと言うわけではない。
殺すまいと思っていても殺してしまう場合もあるだろう」

と言うのです。



あらゆる罪は、暗い前世からの業のつくりだしたもの、
だからすべての善悪を業にまかせて、ひたすら念仏を唱えるというのが、
親鸞さんの教えなのです。


中村久子さんは、ご自身の宿業を自覚し、次のように述べておられます。


「私を救ってくれたものは、手足のない私の体であった。

逆境こそ私の善智識であった。本当の善智識は先生たちではなく、

それは私の体、手足のないことが善智識だったのです。

悩みを、苦しみを、悲しみを、宿業を通してお念仏させて、

喜びに変えさせていただくことが、

先生たちを通して聞かせていただいた正法。

親鸞様の教えのたまものと思わせていただきます。」





念仏を唱えていれば極楽浄土に行くことができるという思想は、
近代科学の洗礼を受けた現代人には、とても受け容れられない様に見えます。




絶対的な「信」をどこに置くのか―――

私たちの大きなテーマではないでしょうか?  

Posted by (株)トータルヘルスデザイン会長 近藤洋一 at 17:28TrackBack(1)気づき